七年後の空中ブランコ

わたしは今までに身を置いたことのない状況にいます。 わたしはこのブログが早く終わることを望んでいます。 このブログが続くということは、わたしの状況が変わっていないということだからです。 (最初の記事「前書き」より抜粋)

2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

やけ食い

面白くなくても 受け入れなければならないときは、 おいしいものを食べます。 いっしょに 飲みこめそうだからです。 8月30日 雨の中を帰ってきた 夜8時56分

限界

知らないとできないと思うことだってあるのです。 8月30日 夜8時2分

写生会

同じ風景を見ても心に残るところはちがうのです 8月27日 暑さの戻った昼1時3分

守りたいもの

思い出の品を見えないようにしまいました。 置いていくには後悔しそう 目につけば迫ってきそう 8月26日 夜8時3分

うらやましいのは

今はできないことをだれかがやってくれている。 8月25日 涼しくなった朝8時21分

どの目で

違いばかり見つかるときは、 忙しすぎる。 8月25日 夜中の12時37分

もちもの

揃っていようといなかろうと 真剣さは変わりない。 8月22日 11時47分 残暑の日射し

出口あってこそ

流れ出るところができると、 入り込むものも変わってきます。 8月20日 午後7時31分 夜風にあたりながら

乗るには

ふらふらしているときに、 ハンドルを離せない。 力が入るともっと難しくなるのに、 りきんでしまう。 8月16日11時34分

影、影、影

真昼の光ではまっすぐな影のものが 西日ではでこぼこがあるとわかるときがあるように 朝日では何なのかがわかるかもしれない。 8月13日 夜11時05分

見えたもの

開け慣れていたはずの窓を開けた。 今までよりくっきりとした景色が見えた。 あるのに気づかなかった矢印が伸びた。 8月13日 午前11時5分

居るところ

過去をすてることは自分をすてることではない。 時の流れに見つけるのか、 今の網目に見つけるのか。 8月11日 まだ明るい4時14分

見通せれば

いつまでも景色が変わらないと思ったら、 ガラス窓の向こうに描かれた絵でした。 鏡の裏に何が描かれているのか 考えながら行動するのはつかれました。 8月7日 雲のない夜空の下 9時6分

おんがえし

したことというのは ちゃんと かえってくるものです。 8月7日 14時28分

きらきらゆらゆら

水の中でひざを抱えてすわって 息を止めて もれてくる空気の泡だけを 見ているときがあります。 ほんとにしたいことは何か 確かめたい。 思いもよらぬ何かが 浮き上がってくるのを 期待しているのかも しれません。 8月4日 夜9時38分 歩きながら

本当

まっすぐな重い短剣で切り分けたときにカチンと当たるものが骨なのかどうか。 8月4日午後1時45分

自分の核をなしているものなど 自分ではわかっているつもりになっている だけかもしれない。 8月4日 夜中の1時3分

踏み切る

感謝の気持ちを考えるには後ろを見なければならないのだけど 前にしっかりと踏み切るには 後ろを固めておくことは大事。 8月2日 昼の12月34分

目覚めあるいは眠り

なにかに目覚めたときは わたしの中のなにかが死んだように思えてならないのです。 あるいは深い眠りについただけなのかもしれませんが、 知るすべもないのです。 8月1日 夜11時50分