七年後の空中ブランコ

わたしは今までに身を置いたことのない状況にいます。 わたしはこのブログが早く終わることを望んでいます。 このブログが続くということは、わたしの状況が変わっていないということだからです。 (最初の記事「前書き」より抜粋)

言葉をたくさん浴びた日は、 疲れるけれど 自分だけでは気づけなかったことを 思い起こさせてくれます。 時がたつのははやくて、 わたしもあの人も 目尻が下がりました。

寝不足

時計の針が12時を回らないと 眠りにつく気が起きません。 長針と短針が重なり合うのを見ないと 落ち着かないのかもしれません。 デジタル表示のものに替えれば 早く寝られるでしょうか。

電線の雨

アスファルト敷きの歩道を歩いていたら 大粒のしずくがほおや手に当たりました。 見上げると十数本の電線。 昼間は雨が降りました。 雨なのか電線から垂れたしずくなのかは、 時間をかけるか電線の下を離れないと わからないのです。

ねむけ

荒天の前はいつも眠くなります。 まるで、幕あいで大道具さんたちが舞台の一式を変えるのを見せまいと幕が下りるように。 目が覚めても何が変わったのかわかりませんでした。

もう済んだことなのです。 わたしは整理するためにここにいます。 (涼しい雨の日に野菜多めのスープ仕立てのうどんに発泡酒を飲みながら)

タイトルはつけないといけない?

わたしは身に起こったことをつぶさに書いておいたほうがよいのでしょうか。 わたしを責める人はだれもいません。

きゅうりをかじると

きゅうりをかじると、 濃くなってわからなくなったものが 薄まって なんなのかわかってくる気がしました。 見つめてみようと思ったのですが 目を斜め上に 動かした途端に わかろうとしたものも その思いも忘れてしまいました。

客観

背を腹にかえてでも 手をさしのべてくれそうだと 思った人は、お金がない人 ばかりでした。 同じ立場だからかもしれません。

なぜ

なぜ現代はどこにいてもつかまるようにしていなくてはいけないのでしょう。

とても疲れていると感じます。お墓に入りたい。死にたいというわけではありません。ひっそりとした静かな冷たいところで息をひそめていたいのです。

どちらが

見張られている監獄と忘れ去られている孤独はどちらがより苦しいのでしょう。

前書き

わたしは今までに身を置いたことのない状況にいます。もちろん、同じ状態で同じ段階を迎えることなどないのですが、このようなことはおそらくこの一生に一度しかないので、書いておこうと思いました。後になって振り返ってみても違うようになるはずだからで…